

作・杉浦久幸 演出・鵜山仁
被爆後、現在の緑あふれる広島の街を見ることもなく早逝した無垢な魂。彼に寄り添った遠藤周作や佐藤春夫ら三田文学の仲間たち。そして彼を理解する唯一無二の妻貞恵。
混沌とした時代を行く私達に今こそ、原民喜の永遠のみどりを。
『母』『命どぅ宝』の杉浦久幸による渾身の書き下ろし。
2026年文化座新春公演!
●JR・日比谷線「恵比寿駅」西口徒歩3分
毎年三月十三日に「花幻忌の会」と呼ばれる原民喜を偲ぶ会が行われる。その世話人である作家の遠藤周作はその当日、浮かない顔をしていた。年々参加者が少なくなっていたからだ。
「原さんは決して忘れていい人じゃない」。
原民喜ーー広島、爆心地から数キロほど離れた実家で被爆し、その体験を小説「夏の花」に描いた。極端に口数が少なく、対人恐怖症とも呼べるほど人付きあいが不得手だったが、それでも彼の才能を愛した文学仲間に支えられ、また、見合い結婚で彼の妻となる永井貞恵のおおらかな愛情に包まれて、徐々に心を開いていく。ところが……
「花幻忌の会」が開かれて、遠藤は原民喜の人生を語り始める。
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広島市生まれ。広島高等師範学校附属中学校時代から詩作を始める。慶應義塾大学文学部予科に入学。俳句や小説、ダダイズムの影響を受けた詩を発表する。慶大英文科に進み、左翼運動に一時参加する。
卒業後、永井貞恵と見合い結婚し、掌編小説集『焔』を自費出版。「三田文学」に『貂』を掲載するなど創作盛んであった。
1944年、妻貞恵が死去。翌年、千葉から広島市幟町の生家に疎開。8月6日、爆心地に近いこの家で被爆する。
その後上京し、被爆体験と妻との別れをテーマとした作品を優れぬ体調と貧窮の中で書き続ける。「三田文学」に掲載された『夏の花』は「このことを書きのこさねばらない」という決意と意志で書いた、被爆の詳細な記録文学である。
1951年、中央線の吉祥寺・西荻窪間で鉄道自殺。
親族・友人17名に宛てた遺書が19通(内2通は形見分け)あった。2025年8月に佐藤春夫宛の遺書が見つかった。一編の詩と感謝の言葉、そして「私は誰とも さりげなく別れて行きたいのです」と書かれてあった。